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ハワイで出産しました。無痛分娩だったが難産で苦しむ

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ハワイで出産しました。無痛分娩だったが難産で苦しむ

 

 ハワイに在住する現在育児休暇中の専業主婦(31歳)の出産体験記。結論から言うと大変な難産であった。無痛分娩の点は良かったが、産むまでが苦しかった。

 インターンで初めて訪れたハワイ。そこで出会ったロコボーイは現在の旦那となり、遠距離恋愛時期を含め交際期間約4年を経て結婚、そして妊娠。ただでさえわからないことだらけのハワイ生活だったが、異国の出産は、想像を超える、日本ではありえないことだらけの連続であった。

※ロコとはハワイアンの血が入った人

妊娠発覚!!からの妊婦生活

 まずは市販の尿検査をしたところまさかの「“?”クエスチョンマーク」が浮かび上がりました。旦那は張り切って一番高級な検査薬を選んで買って来たため納得いかない様子。次の日もっと安いもので検査をし、くっきりと妊娠陽性。病院に行き早速エコーで確認をしたら、とっても小さい新しい命が私の中に宿っていた。

 その約一ヶ月後、血液検査でダウン症や脊髄に異常がないかを調べた。その検査の数値に引っかかり、担当の助産師さんから電話をもらい詳しい検査をするとのことだった。旦那も私もその結果が信じられず言葉を失った。その一週間後再検査のため病院へ。人生で一番長かった一週間だった気がする。普段は問題がない限り、ベテラン助産師(とても感じのいいおばちゃん)が検診を担当していたが、今日に限ってはドクターによるものだった。そこでエコーをし、かなり時間をかけて胎児の様々な箇所をチェックして長さを測っていた。再検査の結果、異常が絶対にないとは言い切れないが、可能性は限りなく低いとのことだった。私は抑えていたものが勝手にボロボロこぼれ、普段絶対に泣かない旦那も急いでトイレに駆け込んでいた。さらなる精密検査を希望するかも聞かれたが、私たちはこれ以上の検査はしないことにした。

 日本ではエコーは検診の度にするところが多いと思うが、ハワイでは妊娠中異常がなければたったの2回のみで、私は結局計3回。最後の一度は赤ちゃん見たさにどうしてもとお願いをして見せてもらった。それからの検診は明るいおばちゃん助産師のみによるもので、日本のように赤ちゃんのサイズとお母さんの骨盤の大きさを計算し普通分娩ができるのかチェックをすることもなく、臨月になっても子宮口チェックなどの内診も一度もなく、検診は毎回お腹の赤ちゃんの心音を聞くことのみだった。なのにおばちゃん助産師は、『大丈夫!あなたのベイビーは3000グラムもないはずだから心配しないで!』と今思えば何を根拠に?とも思う発言だったが、出産が近くなる頃にはそのおばちゃん助産師のことが大好きになっていたため、鵜呑みにした私が間違いだった(笑)大変な難産だったのです。

 また妊婦に対する対応に関しても明らかにハワイは日本と違っていたと思う。スイミングはもちろん、ランニングすら続けて問題ないと妊娠初期から言われたり、妊娠前とあまり変わらぬ生活を送っていた。妊娠中の体重も注意を全くされず、アメリカの友人は皆平然と20kg越えの子もいるくらいです。一昔前の日本のように、二人分食べなさい!と言う人たちにたくさん出会った。たまにアメリカは進んでいるのかそうでないのかわからなくなる。

 逆に私はかなり食事や運動に気をつけ10kg増までいきませんでした。出産予定日前日までかなりアクティブにスイミングや長距離ウォーキング、ヨガやフラもしていたが、きっと日本で大きなお腹の妊婦がビキニを着て泳いでいたら変な目で見られていたに違いないと思う。その点は周りの目を気にせず自由に妊婦生活を送ることができ良かった。日々の運動量からも、「絶対安産だね!」と周りには散々言われ、私は自分の出産を完全に甘く見ていた。

長すぎる陣痛

 30秒から5分間隔ほどの陣痛は3日間続いた。その間、2回家に帰され、3回目でやっと入院することになった。丸一日以上痛みに耐えていたが子宮口はたったの1センチ。ドクターとナースはモニターを見ながら、「かなり強めの陣痛がいい間隔で出ているのにおかしいねぇ。もう少し頑張ってね!」と言って部屋を出て行った。それから半日痛みを我慢したが全く変化なし。その後モルヒネ投与を2回し、母は、『え、、、モルヒネ??』と日本で使うことはないであろう薬物に、赤ちゃんへの影響を心配した。

 私はと言うと、モルヒネといえば戦争時代に使われていたことや、ガン治療に使われることくらいしか知識がありませんでした。ほぼ2日間ろくに食べれず、眠れずだった私は朦朧とする中、その日の当直医にモルヒネは赤ちゃんに影響はないのか聞いた。「絶対に安全なものなどない」と冷たく言われ、もう少し優しい言葉を求めていた私は疲労と痛みが限界だった。だがそのモルヒネのお陰ですぐに気が遠くなり眠ることができた。そして促進剤、私の羊膜はかなりしっかりしていたようで破水をさせるのも手こずっていた。朝方には生まれてるはずねと当直の助産師に言われ、遂に終わりだと思っていたら、そこからがまだ長い道のりであった。

うそみたいなホントの話

 子宮口はやっと3センチ。分娩ができる10センチまではまだ遠い。3センチからまた半日変化はない。終いには陣痛真っ最中の時に、バランスボールの上で腰をぐるぐる回すエクササイズをするように言われた(ハワイでは当然のごとくやるらしい)。この時ばかりはさすがに、”Are you joking?” ジョーダンでしょ?と真顔でナースに聞き返した。「いやいやいやいや、バランスボールなんてマジでやってらんないから怒!!!」と日本語が分からない旦那にも日本語で八つ当たりをした。

 それでも、もうやれと言われりゃ藁をも掴む思いとはまさしくこのことで、なんとか冷静さを保ちながら言われるがままにやった。少し半泣きでもうダメかもしれないと母親に弱音を吐き、母には「そんなこと言ってちゃダメ!!まだこれからよ!」と言われた。ここからさらにこれからなんて、終わりが見えずもうできればやめたいと思った。ひたすら一回一回の陣痛の波を呼吸で越えていく。その頃には父の腰マッサージが’誰よりも上手になっていて摩ってくれるたび有り難かった。

 そして一人のとても頼りになる優しいナースが、私のお腹に2つ出っ張りがあることに気付く。「ふたつ???」お腹が大きいため私の角度からは見えなかった。一瞬まさかの双子かと焦ったがそうではなく、そのもう一つの膨らみはなんと私の膀胱で、胎児の圧迫で出すことができず、なんと2リットルのおしっこが溜まっていた。自力ではもうすでに出せなかったため、管を通し出すことになり、旦那はかなりビビっていたが、陣痛に比べればそんな管一本なんともなかった。

 その後一晩かけて6センチまで開き、ついに待ちに待ったエピデュラル(無痛分娩のための麻酔)のGOが出た。麻酔医が来て、腰回りにまず皮膚感覚を鈍らす注射をしてから大きな注射をする。旦那は私を抱えるような姿勢でサポートし、あっという間に麻酔は終わり、割とすぐに痛みが楽になり笑えるようになった。

 『無痛分娩』というほど完全に無の痛みになるわけではなかったが、数日味わったあの痛みに比べれば「無」と言ってもいいと思えた。その後日本でいうナースコールのようなボタンを渡され、痛みを強く感じるようになったら自己判断でそのボタンを押し、麻酔を調節するよう言われた。もういつでも出ておいでという気持ちだったが、それ以降私の子宮口はまた開かなくなってしまった。

 朝になり、すでに破水を起こさせていたために私の中ではすでに感染が始まり、40度近い熱が出ていた。そんなことにも全く気付かず、早く無事に出てきてくれることだけを願っていた。その願いはまだ届かず、これ以上待つのは胎児にも影響があるということで、帝王切開の説明を受け、承諾書にサインをした。私としては、もうなんでもいいから私と赤ちゃんを助けてくれという気持ちしかなかったが、旦那はこんなに頑張って3日間も耐えたのに、今更”Harakiri…!?!?!?”と全く納得いかない様子でかなりそわそわしていた。だが母子共にそれが最善策であれば仕方がない。そしてその時丁度まさに帝王切開手術真っ最中のママがいたため、少し待つことになった。そしてここにきてミラクルが起きた!!!!!!

だが奇跡は起きる!!!

 6センチから頑なに開こうとしなかった私の子宮口は、なんとオペ室に行く直前に11センチまで突然開き、部屋にいた旦那と私の両親、ナースたちみんなで拍手喝采、大盛り上がりした。奇跡が起きると自然に拍手がしたくなるらしい。ギリッギリのところで帝王切開を免れ、普通分娩ができることになりすぐに分娩準備開始。

 麻酔のおかげで痛みはかなり抑えられているが陣痛の波は感じられるため、その痛みの来ている時に力むのは自然分娩と同じようだ。かなり落ち着いて呼吸に集中し、雑談すらしながら分娩することができたのはやはりエピデュラル(無痛分娩のための麻酔)のお陰だった。約1時間半の踏ん張りで無事に出てきてくれ、やっと会えた我が子を見た瞬間、感動と喜びとやっと終わった、、、というなんとも表現し尽くせない感情に、うわーんと声をあげて号泣した。

 旦那にも最初から最後まで全てを見届けてもらい、もう隠すものはないなと思った。感動やらこの数日間付きっきりだった疲労やらで若干放心状態の旦那は、ナースの「へその緒切る?」の問いかけが全く聞こえていなかった。体重は3420グラム。陽気な助産師の「3000ないわよ!」という言葉がよぎった(残念ながらそのおばちゃん助産師は旅行中で担当してもらえなかった)。

 クーラーガンガンの部屋で、私は快適に汗一滴流さず分娩を終え、私の両親は終始ガクガク震えながら陣痛から分娩まで旦那同様ほぼ全てを見守ってくれていた。そこにいてくれるだけで旦那とはまた違う安心感があったし、両親にも孫の生まれる瞬間に立ち会うという初めての経験をしてもらえて本当に良かった。日本でも旦那さんが出産に立ち会うのはもはや主流になっていると思うが、特にハワイでは家族揃って、親戚中ぞろぞろ集まって出産する人もいるらしく、それには驚いた。

ハローベイビー!!

 生まれた直後からすぐにまず1時間、我が子を抱っこする時間をくれる。これがなかなか重要らしく、これをするとしないとでは子供の精神状態にかなりの違いがあるという研究がされていて、赤ちゃんの情緒不安、夜泣き、さらには今後の成長に関わるそうだ。

 外の世界に出てきたばかりの小さいが、立派にお腹の中で育ってくれた子が、すぐにおっぱいを探して飲む姿を見て、本能のすごさに驚き感動した。そしてさらにナースたちが教えてくれる、布で赤ちゃんを動けないほど強めにぐるぐる巻きに包むそのやり方に、日本では絶対やらないと両親はまたびっくりしていた。狭いところで縮こまっていた赤ちゃんをブリトーのように巻きつけることでお腹の中にいた時のような安心感を与え、落ち着くらしい。半信半疑だったが、確かに効果があった。

 数日間食べていなかった私は出産後すぐに突然の空腹感に襲われ、日系アメリカ人ナースがご好意でくれたmusubiというハワイ版おにぎりをペロッと食べた。さすが日系4世。日本人を分かってくれている。食事は病院食とは思えないメニューから選んで電話でオーダーする。ハンバーガーからフレンチフライ、アイスクリーム、ラーメンまであった。さすがアメリカ。産後の胃に容赦ない。おかゆはやはりなかったので、アメリカでいうおかゆと同じポジションにあるチキンヌードルスープを注文した。

お家へ帰ろう!

 退院当日に写真の業者さんが来て、赤ちゃんと私たち夫婦の写真を撮ってくれる。撮ってもらった写真をすぐにその場で、感動的なバックミュージックと共にスライドショーで見せてくれ、出産後で感情が高ぶっている私はまたもや号泣。旦那までうっすら涙をためて我慢していた。そしてまんまと写真を注文。完全に彼らの思う壺だった。

 アメリカでは、出産後早い人は次の日、ハワイでは大抵2日後には退院する。早すぎてびっくりしたが、それはそれでどうにかなるわけで、どうにかした。後日届いた請求書。果たしていくらかかったのかドキドキしながら開けてみると、出産費用は日本円で約120万。保険のおかげで負担額はなんと0円になり、旦那とハイタッチをして喜んだ。

 産前産後も含め、何が良くて悪いなどその土地それぞれ違うものであり、一概には肯定も否定もできないということを感じ、郷に入れば郷に従えと身を持って体験した人生初の、素晴らしくクレイジーな経験だった。だがもう二度と、、少なくともかなり長いしばらくの間は味わいたくない痛みだったのは確かだ。

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