ある日フランスのテレビ番組で見たこんな場面。「おもちゃを片付けなさい!」と叱られ「イヤだ!」と愚図るフランス人の子供。
「どうして嫌なの?」
「僕はまだ遊びたい気分だから!」
「あなたがそこを片付けるまでママは仕事を終えられないわ。」
「イヤだって言ってるでしょ。子供の仕事は遊ぶことなんだ!」
なんて生意気な子だろうと思いつつ、これが日本だったらどうなるかと考えてみた。
「おもちゃを片付けなさい!」と叱られ「イヤだ!」と愚図るところまでは同じ。
そこから
「どうしてママのいう事が聞けないの‼︎ダメなものはダメなの!さ、早く片付けなさい!」
そんなお母さんの一方的な言葉に、自分の気持ちを言葉で上手く伝えられず、ただただ癇癪を起こして泣き叫ぶ日本の子供の姿を想像した。
フランスでは幼い頃から、「あなたはどう思うの?」「なぜそう思うの?」と問いかけられる場面が多い。教育を通し「自分の考えを論理的に説明する力」を鍛えられるのだ。そんなフランス人は、議論好きで自分の意志を突き通す人が多い。
一方日本人は、この「自分で考え、言葉にして説明する力」が弱いと感じる。そして近年さらに、はっきりとした自分の意見を持たない若者が増えているように思うのだ。「あなたはどうしたい?」という質問に「別に…」や「特に…」「何でも…」と答える若者を見ていると、無気力で夢もなく何も考えていないという印象を受け悲しくなる。
この一体この違いはどこからくるのか。
■個人主義と集団主義の違い
フランス人をはじめ欧米人は、個人の権利や自由を主張する個人主義者だ。
一方日本人は「みんなが同じように考え、感じ、行動をする」ことを望む集団主義者である。「言わぬが花」や「出る杭は打たれる」という言葉があるように、日本では自己主張の激しい人や自分の意志を貫く人間は煙たがられる傾向がある。「一般常識」という枠からはみ出さないよう、当たり障りなく周りに合わせて生きる事が上手な生き方のように教えられ育つ。
もちろんこれは、島国の集団主義社会の中で調和を乱さず問題を避けて生きるために日本人が身に付けた知恵だろう。だが、ある意味この「とりあえず周りと同じように、多数派の意見に合わせていれば問題ない」という生き方は、最終的に自分で責任を取らなくていい楽な生き方とも言える。楽な方へ楽な方へと流される結果、日本人から「自分で考える力」が奪われているように思う。
■「答えのない問題」について考える教育
日本の教育では、いつも答えは一つだ。決められた模範回答があり、それ以外は間違いと評価される。その為、テスト問題も「自分で考える」のではなくただ「暗記」すれば点をもらえるものが多い。
一方フランスでは答えのない問題がテストに出る事が多々ある。
「愛とは何か?」「自由とは何か?」
そんな質問に、幼い子供が頭を働かせ自分なりの答えを導き出すのだ。
こうしたどこにも答えのない問題をあえて考えるという習慣が、普段自分でもなかなか気づくことのできない「自分の考え」「自分の意志」に気づかせてくれるのかもしれない。
■まとめ
インターネットの普及により、スマホやパソコンを開けばありとあらゆる情報が一気に飛び込んでくる今の時代。何も考えなくても生きてゆける便利な時代…。
しかし実際はマスコミによる間違った情報も多く、また多数派の意見が正しいとも限らない。全てを鵜呑みにするのはとても危険なことだ。
その為以前にもまして自分で考え判断する力が必要になってきたと言える。謙虚で人の意見に耳を傾けることが出来る日本人の良さはそのままに…。
しかしたまにはフランス人を見習って、答えの出ない問いについて考えてみるのもいい。周りに影響されない自分の芯をしっかりと持った人は、どんな時代でも強く生きてゆけると思うからだ。
[フランス記事]
「フランス人男性との恋愛が始まるまでの過程」
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