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カンボジアに医療ボランティアとして参加して思ったこと

カンボジアに医療ボランティアとして参加して思ったこと

 

 カンボジアに医療ボランティアとして短期間参加した時の事です。普段日本の病院で働いていたため、カンボジアの医療事情に驚きました。


 その医療事情に驚いた理由は日本との医療や看護の概念の違いです。日本では体を拭いたり、点滴を交換したり、日常生活をお手伝いするのを看護師がしますが、カンボジアでは家族がします。入院すること自体が家庭の一大イベントになるので、家族全員で病院にきます。
 なぜそんな風習があるのか…それは約40年前に起こったポルポトの大虐殺に原因があります。ポルポトが行った政策は『知識人を全員殺す』ことでした。教師や政治家、警察、医師など知識を持ったものが大量に虐殺されました。

 それだけでは足りず、メガネをかけているから勉強しているとみなされ殺され、英語単語が少しでも分かると殺され…ほとんどの大人が殺されたと言われています。そしてその虐殺に使われたのは、子どもたちです。子どもは洗脳しやすいとされ、ポルポトの支配下に置かれ『子ども兵士』として大量虐殺をさせられていました。

 あっという間に国民の85%が14歳以下の子どもになりました。当たり前ですが医療を行うものもいなくなり、「子ども医者」が誕生しました。もちろん知識も技術もないため病気は治りません。そのため、病院に信用がなくなったと言われています。

 だからこそ、医療を受けることができるとなると家族で出かけて行って看護を自分たちでしているのだなと納得しました。ボランティアに行く前にその国の歴史的背景を知っていくことは、より深く現在の国のあり方が見えるわけであり、自分の価値観や考え方も広がるのでおススメします。

 私が参加させてもらった海外医療ボランティアは、巡回診療と手術ボランティアを行っていました。日本から医師と看護師の医療ボランティアを集い、カンボジアの田舎の病院で診療を行うのです。患者は前もってビラを配り、集めたりしていました。中には、噂を聞いてきたと6時間荷台に乗ってきたという患者もいました。

『現地での活動は限られたモノの中、最大の治療や看護をする』

 この信念を持った多くのボランティア医療者に感動しました。誰もモノがないことに文句を言わないのです。同じ医療者であるのに、日本とこうも違うのかと自分の価値観や看護観も大きく変わりました。気軽に参加した海外医療ボランティアでしたが、日本では経験できないことが沢山ありました。改めて日本は恵まれているなと思ったのと、何より日本人として生まれてきた意味とは…そんなことまで深く考えさせられる有意義な時間が持てました。

[カンボジア記事]
「カンボジアの「虫やカエル」は超美味い(写真付き)」

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