長らく東南アジアで最貧国の座に甘んじてきた小さな国、ラオス。そのラオスも近年、目覚ましい経済成長を見せ、ここ数年で街は見違えるように発展してきました。
国の経済発展の恩恵に預かり、市民もどんどん経済力を上げています。それを一番に示すのが、街の交通量の増加です。自動車とバイクの数たるや、うなぎ上り。車やバイクは一家に一台どころか、一人一台と言っても過言ではないほどです。
こうした交通量の激増に伴って急増しているのが、交通事故。首都ビエンチャンでは、交通事故の現場を目撃しない日はないと言ってもいいほど、ありとあらゆる所で事故が起きています。
一家4人でバイク相乗りも当たり前
旅行者でも、在住者でも、初めてラオスを訪れた人が驚くのは、街の無秩序な交通ルールでしょう。道の逆走は当たり前、携帯などの「ながら運転」や、車両の歩道走行など、なんでもあり状態。バイクに至っては一家3、4人で相乗りする姿もよく見かけます。
よくもまあ、これで事故にならないものだ、と初めは感心していても、次第に様々な壮絶事故現場を目撃するようになり、「この人達は死ぬつもりで運転しているのか?」と思うようになります。そう、実際、彼らは死を覚悟で運転しています。
人の命が軽いラオス
こちらでラオス人と話していると、「親は交通事故で死んだ」とか「親戚が交通事故で大怪我した」という話を盛んに聞きます。ラオス人にとって、交通事故は日本よりも身近な出来事のようです。
街中ではそうした話を裏付けるように、凄まじい交通事故現場を連日、目撃することになります。頭から大量の血を流して倒れ込んでいる人、手足が変な方向に曲がって横たわっている人など。大体はバイクと自動車の事故か、バイク同士の事故です。そんな時に、実感するのです。ここでは、人の命がものすごく軽いのだと。
ある日突然消える信号
ラオスの交通事故の多さは、交通量の増加だけが原因ではなく、インフラの未整備も大きな原因です。ある日突然道のほとんどの信号が消えていたり、予告もなく始まり1週間も続く道路工事など、びっくりすることばかりです。
舗装されていない道路もまだまだ多く、でこぼこの穴に気づかず思わずハンドルを切るような場面も多々あります。そんな場所だと、普通のバイク走行でも転倒してしまいます。
バイクのペダルに足が届かない子供
最近、ラオスの交通事故は、子供の非行問題とも深く関連していることを実感するようになりました。どこかバイクの運転がおかしいなと思い、よく見ると、10歳位の子供が運転していたりします。彼らはバイクのペダルに足が届かないほどです。日本ではランドセルを背負って小学校に通っているような子達が、もちろん無免許で、煙草をふかせて、ヘルメットもなしで堂々と運転しています。
子供達は街で堂々と集団でバイクを走行し、仲間内で危険な乗り方を競っていたりします。夜になると事態はさらに深刻で、薬物や飲酒をして常軌を逸した運転をする子供達もいます。筆者が一番驚いたのは、そうした子供達の姿を警察が見ても、全く咎めないことでした。
事故に遭うと、外国人は恰好の標的に
外国人としてラオスに暮らしていると、交通事故に遭うことは大問題です。ラオス人相手に事故を起こすと、大抵の場合、金銭問題が発生するからです。ほとんどのラオス人は自動車(バイク)保険に入っていません。そのため、こちらが外国人と見るやいなや、一銭でも多く金を取ってやろうと被害者の顔をし始めます。向こうの不注意による事故でも、自分は悪くない!こんなに怪我をした!と主張して、なんとか示談に持ち込もうとします。
筆者の知人のイタリア人は、バイクに乗って歩道から飛び出してきた相手にも、怪我の病院治療代をきちんと支払っていました。彼自身も脊椎損傷の大怪我を負わされ、後遺症が残るほどだったにもかかわらず。
ポーランド人の友人も、先方の前方不注意によるバイク同士の事故で、向こうはかすり傷程度だったにもかかわらず、200ドルをその場で払わされたと話していました。
クラクションだけは鳴らさない、ラオスの不思議
ラオスでは、外国人がよく利用する私立病院に行くと、ギブスを付けて松葉杖をついていたり、包帯を巻いている外国人の姿をよく見かけます。それだけ多くの外国人が日々、交通事故の被害に遭っているのです。
ラオスの交通マナーで唯一すごいと思うのは、相手がどんな危険な運転をしていても、クラクションだけは鳴らさないところです。お隣のベトナムに行くと、この差は歴然です。「なるべくなら対立は避けたい」。そんな穏やかな仏教心の表れでしょうか。けれども、気を付けましょう。クラクションを鳴らさないからといって、運転マナーが控えめなわけではありません。そしてぶつかられたら最後、どんな展開が待っているのかわからないのです。
Leave a comment