世界の謎発見

フランス人男性との出会いから結婚まで

フランス人である主人と出会って早14年、結婚して今年で11年目になります。今回は、私自身の経験談を中心に、フランス人との出会いから結婚までについて書いてみたいと思います。

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フランスに来たきっかけ

周りの日仏カップルを見ると、結婚がきっかけでフランスに移り住んだ方も多いようですが、私の場合、最初は留学で単身渡仏しました。渡仏当時はフランス語ができなかったため、まずは一般的に評価の高い、ソルボンヌ大学の語学文明講座でフランス語を習得。そしてその後、本格的に自分の専門分野である情報コミュニケーションを学ぶため、パリ第八大学に編入しました。

ソルボンヌでは、外国人向けのクラスだったので、周りもみんな外国人。お互いの慣れないフランス生活を愚痴ったり助け合ったりしての日常だったので、大変なりにも孤独を感じずに済み、とても楽しい時間でした。しかし、パリ第八大学に編入してからは、周りは普通のフランス人学生ばかり。まだフランス語に自信があるとは言い切れない状態だったので、クラスでも孤立し、最初の一年は慣れるまで辛い一年でした。

主人との出会い

そこで、寂しい心の隙間を埋めようと、インターネットのチャットシステムを利用し、友達探しを始めたのです。とてもありがちではありますが、ここで今の主人と出会いました。

私は友達が欲しいだけだったのに、やはりアジア人女性を狙った怪しい輩からのメッセージも数多く来ました。もちろんそんなメッセージは無視です。その中でいたって普通のメッセージをくれたのが彼だったのです。当時、彼は日本映画の翻訳の仕事に携わり、翻訳されたフランス語を自然な言い回しに編集するフランス語監修の仕事をしていました。日本語が全くできないながらも、日本文化に興味を持っているとのことで、チャットしてしばらくしてから実際に会うことに。

私が不安に感じるといけないので、私の慣れたカフェを指定してくれというので、何かあっても逃げられるように、メトロ近くのカフェ、さらにいつも人が多めのカフェを選びました。

緊張の初対面でしたが、見るからに体の大きな草食動物的な雰囲気の彼、話はどちらかというと聞き上手で積極的に話すタイプではなく、非攻撃的。自分の意見をひたすら述べるフランス人達のゼミで疲れていた私は、彼のそんなところに好感を持ちました。結婚し10年以上たった今は、はっきり意見を言わない彼のこんなところがマイナス要素になっているのも否めませんが。

付き合いの始まり

知り合ってから数か月は、たまにカフェでお茶したり、お互いが友達を自宅に呼んで開くホームパーティのメンバーの一人として呼び合ったり、そんな普通のお友達のお付き合いでした。

しかし、しばらくして彼から「一緒にでかけない?」と聞かれたのです。そこで私は、どこか美術館か散歩にでも行くのかと思い、即「いいよ。」と返事をしたら、明らかに私が質問を勘違いしているとわかったのでしょう。英語が堪能な彼は英語で同じ質問を聞き返してきました。

フランス語の表現の話になりますが、この時彼に聞かれた「Tu veux sortir avec moi?」は「僕と出かけない?」と直訳ではなく、「僕と(彼氏彼女としての)お付き合いをしない?」の意味だったのです。私も好感を持っていたし、こうやってお付き合いが始まりました。

この意味の取り違えは、今でも笑い話の一つです。彼が英語で聞き直してくれなかったら、付き合う機会を失っていたかもしれません。

同棲を始めるまで

お付き合いも順調、この辺りは日本にいる若いカップルと何の変りもない日常を過ごしていました。映画デートしたり、たまにレストランに行ってみたり。当時、彼は男友達とパリ郊外でルームシェアをしていたので、主に彼が私のいるところまで出てくることが多かったです。

付き合って三年目になった年、彼が友達とルームシェアをしているアパートの契約更新の日が近づいてきました。ちょうど彼の同居人である友達も彼女ができて、彼女と暮らすつもりだということだったので、彼も私と暮らすことを提案してきました。私のアパートの大家さんも、大家さんの離婚に伴い、財産分与のためにアパートを売りたいと話していたので、私も出ていくことにしました。

こうして初めての同棲生活が始まりました。ちなみに周りのフランス人カップルを見ていても、付き合って3年目で同棲というのは、どちらかというと時間がかかったパターンになります。高校を卒業すると、実家を出て一人暮らしを始めるのが普通のフランス人。大学生活で彼氏彼女ができると、家賃を浮かせるためにも、便宜上早く同棲したがる傾向が高いように思います。

そして親も、一度子供が家から出た以上、何かよほど問題がない限り、同棲に関してはあまりうるさく口を挟みません。日本より、同棲のハードルは低めです。

結婚を決めたきっかけ

同棲生活も3年目を迎えた頃、毎年行っている私の滞在許可証の更新をしに、警視庁の分署まで彼と出かけました。毎年のごとく、大学の成績証明を提出し、仮滞在許可証がその場で出ると思っていたら、なんとそれが保留の状態に。その頃には大学での成績もよく、きちんと出席していることも証明できている状態だったので、未だに理由がわかりません。

しかし、この保留の判断に対し、一度だけ警視庁に上訴ができるとのこと。とりあえずゼミの教授にも相談すると、先生は「折角頑張って勉強している学生の未来を遮るとは!」とかなりお怒りの抗議文を書いてくださり、さらに私が授業を取っていない他の教授まで署名をしてくださったのです。

この書類を持って、学生組合の助けを借りて上訴したものの、やはり判定は覆らず。やがて、自宅に「一か月以内にフランスから出ていくように」との手紙が届いてしまいました。幸い、この上訴で時間稼ぎをしている間に最終論文を書いて提出することができたので、無事にディプロム(学業修了書)は取得できたのが不幸中の幸いでした。

もうこれ以上あがくのは辞めて、日本に帰ろうと心に決め、彼に「私はもうフランスにはいられないし、あなたも日本語が話せないのだから日本に来ても仕事は見つからないと思う。だから別れましょう。」と伝えたのです。怒ると無口になる彼は、丸一日口を聞いてくれず。でも私にはどうしようもないことだし、そもそも選択肢のない話。

その夜、気分転換に中華料理を食べに行こうと、行きつけの中華料理屋さんへ行きました。そこで彼が「もう学生身分でフランスにいられないなら、フランス人である僕と結婚するしかないじゃないか。それしか選択肢が残っていない。」と。いわゆるプロポーズなのですがロマンチックからは程遠いセリフです。

こうして彼と結婚に至りました。幼い頃、両親が離婚し、それぞれが再婚、そして母親とその再婚相手に育てられた主人は、正直、結婚は否定派でした。ちなみにバカンスの時期になると父親とその再婚相手のところで過ごすというパターンでしたので、今でも実父親とその奥さんとも仲良しです。日本と違い、別れても親権は半々なので、片親と疎遠になるということは滅多にありません。

フランスは制度が充実しており、結婚しなくとも同棲が証明できれば色々な社会的控除も得られます。結婚せずに同棲しているカップルも、正式にカップル、夫婦と認められるので、結婚という形を取らずに家族として機能している家庭も多くあります。というよりも、今では結婚しているフランス人カップルの方が珍しいかも?彼の友人たちを見ても、みんな子供がいるのに未婚で同棲しているカップルが9割です。

しかし、パートナーが私のように外国籍の場合は、滞在許可証問題があるので、外国人とフランス人カップルは、パックス(異性間はもちろん、同性間でも結ぶことのできる同棲契約)もしくは結婚という形を取っています。

私の周りにいる日仏夫婦も、出会いはインターネットの人もいますし、日本の趣味のサークルで出会い結婚し、結婚後初めてフランスに来たという人もいます。もしくはフランスで仕事の研修をしていたら、そこの上司に気に入られて結婚というパターンもあります。

国際結婚というと、少し特殊なイメージを抱きがちですが、出会い、結婚のエピソードは、日本国内にいて日本人同士が出会い、結婚するそれとは何ら変わりがありません。所詮、人間同士の付き合いなので、国が変わっても基本は同じです。

ただ国際結婚の場合は、必然的に夫もしくは妻のどちらかが母国から遠く離れて、言語、文化ががらりと変わる中で、自分はどう適応して自分の居場所を見つけていくのかというのが大きな課題となってのしかかってきます。そこをどう乗り越え、馴染んでゆくかに国際結婚が長続きするか否かの鍵もあると思います。

[参考記事]
「フランス人男性が好きな女性のタイプ。相性が良い女性とは」

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